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七月に滑り込んだからオールOK!(何) 謎のインターバルを経て旅行記第三弾をお送り致します☆ あ……例の進捗は……まあまあです。。一回目の推敲(というより直し)が一番キツイんだぜ………(忘我)
島原から雲仙へは路線バスで向かいました。なんだろうこの蒼き清浄の地へ……って感じの光は……キタノブルー……?(テキトー)
ちなみに私たちはローカル線(島原鉄道)に乗りたいがためにわざわざ諫早駅で乗り換えましたが、島原直行バスなども長崎空港から出ています。
お世話になるお宿は雲仙きっての老舗旅館福屋さん! 外観写真を撮り忘れたので(アホ)ロビーの奥のカフェ・ラウンジの写真でも。
もうこのお宿が素敵すぎて! 露天風呂、大浴場、各種貸切風呂も充実しているしなによりこの和洋折衷な雰囲気がほんとたまらんかったですわ…… 右は、部屋から見た曙光。本当に、海の側でありながら高原リゾートばりの清涼感。
そして特筆すべきはご飯のすばらしさ。これは夕食のオードブル段階の写真ですが、お宿の夕飯って多過ぎたりすることも多い中、ここのは交響曲のようにある意味計算されたかのような一連の流れにただ身をゆだねるかの如く、出るわ出るわの山海の幸の織りなすハーモニー、あるいは変奏曲のように差し出されるデザートすらもがやめられない止まらない……!
何を言ってるのかわから……私も、単なる豪華主義とは一線を画すあのようなディナーは初めてというぐらいほんとに良かった。。ある意味温泉以上のインパクト!
すっきりした翌朝は、雲仙国立公園こと地獄めぐりです。午前中なのにすでに暑い!熱い!だが行く!
さかんに硫黄と蒸気を吹き出す地獄でござい! 看板w
ちなみにここは今でこそ楽しい観光地でございますが、江戸時代前期にはキリシタンへのむごい迫害が行われたということで慰霊碑なども残っている場所でもあります。この辺りの歴史はまこと複雑で、それ以前にはキリスト教徒に襲われた仏教徒の歴史なども秘められ、奥深いです。この辺りは前回の島原城の資料館と合わせて見ていたお蔭でより理解が深められました。
地獄、温泉街の脇には神社もあります。温泉神社とかいて「うんぜんじんじゃ」と呼ぶそうな。そう、雲仙は元々は「温泉」から来た言葉だったのですね! しかも創建は701年!! 参拝無料、社務所は無人販売でした…… しかもこちらは名のある、いわゆるパワースポットであるらしく、私どもも誰も居ない境内でありとあらゆることをお願いして参りました。ええ。
そう、誰もいない……?!
地球最後の日ばりに、自分たち以外誰もいない、絶景の数々……
嬉しいような、寂しいような。
まあこの時は平日の午前中でございましたので致し方ないのかもしれませんが、やはり九州から人が遠ざかってしまった影響を感じざるをえませんでした。でもこのあと麓のほうへ向かいましたらちらほら、観光客さんや中国の方々が居て一安心。早く来過ぎただけかいな。
でも雲仙ほんとおすすめです。自然&飯うま!温泉入り放題!スイーツも旨い!そして地獄のパワースポット! 穴場っていうのもおこがましいですが、ほんと良かったです。平成新山形成のことがわかるジオパークにもなっていて、地学マニアにはたまらない資料館もあります。
よきかな、よきかなのうちに雲仙を離れ、一路長崎市街へ。路線バスの本数はそう多くはないのでホテルなどで要確認推奨。こちらは途中で車窓観光?のみしました小浜市。こちらも大変有名な温泉郷です。海辺ということもあり熱海に似てますv
と……。
ん……? 今、何か……見えなかったか……?! (全力で急速ズームイン!)
!!!! オバマさんwwww これぞ日米友好のあかし!!
というハートウォーミング風を装ったオチで雲仙編は終了。
次回はいよいよ、長崎市街+軍艦島(前編)で!
某原稿直しは全くもって終わりが見えませんがそろそろリアルに発狂しそうなので旅行記もどきの続きを書かせて頂きます。初日は島原から!
島原というと、幼少のみぎりによく母が歌ってくれた子守唄の中の歌詞に出てきた印象が強い土地なのですが(昭和風) 長崎生まれながら今回初めて訪れました。
長崎空港からバスに乗り遅れたり諫早駅でヒーヒー走ったりいきなり波乱を潜り抜けたのち、一部では有名であるような無いような、島原鉄道という一両編成の素敵なローカル線でGO!
例によって写真が下手で全貌が見えねえ! ……申し訳ありません、前述のように乗り換えがギリギリだったため、写真が撮れたのは島原駅に降りた後のことでして……とてもかわいい電車で島原湾を望む眺望も素晴らしかったです。
あと今回は、(ワタシと違って)連れの妹がきちんとした意識の持ち主ゆえ(真顔)旅のグルメは非常に念入りでした。着いて早々、ちゃんとアツアツの地元の名物「具雑煮」を食べました! 外も、30度越えの炎天下だったけどな! 出汁がいかにも九州な味付けで、美味かった……
さていざ島原城へ参らん!
こういうと何やら僭越ですが予想したよりも大きく立派なお城で感激しました。城内はキリシタン大名やキリシタン弾圧、島原の乱や天草四郎などに関する充実した資料館になっています。
天守閣からのぞんだ雲仙岳! 完璧なまでの夏山。向こう側に見えているのがかの平成新山で今宵の宿もあの山の向こうの雲仙温泉リゾートだぜヒャッハー! それにしてもかっ飛ばせー!な夏空はいったい……。反対側はこの通りの大海原。まさに海を臨む城。近隣に、微妙に有名な九十九島という名所があるのですが、そこの由来が江戸時代の雲仙岳大崩壊にあっただなんて知らなかった……まこと、昔も今も自然と共に日本人は生きてきたのだと実感させられます。
あとこのお城には予想外に素敵なおもてなしが……!
世に、観光地おもてなし部隊は数多いかと思いますが島原城のそれはなんと気合いの入った男装の麗人部隊ッ……!(←言い方) さすがは伝説の美少年(?)天草四郎の土地柄というべきでしょうか。萌えました、これはフツーの兄ちゃんたち以上にわたくし萌えました!! この日はこの凛々しいお二人がとても親切にお相手してくださり、かつ笛や刀を扱う所作の美しさにも魅入られて……夏。
まあ、平日の真昼間&九州のお客減の影響もあるのか、非常に空いていたのが心配でありましたが頑張って欲しい! 切に願いながら土産物屋で少し散財、ささやかに募金も。
ちなみにこの方↓もちゃんといましたぜ! 島原の対岸はもう熊本市ですからね。
雲仙の移動までに少しだけ島原市街も歩いたのですが、熊本同様、島原も火山の麓の街らしく水資源が豊富なのですね、歴史的に。そしたらなんかすごい、こんな水路を発見! 水路マニア(自称)としては興奮を隠せず……! 思わず暑さを忘れました。
道沿いには見学できる武家屋敷も多数。時間がなくて一軒だけ見たのですけれども。
うーむ、長崎生まれを自称しながらこんな風景には出合ったことがなかった…… でもこの石垣のあたりに田舎の島と同様の長崎味(謎)を感じてとても情感をかき立てられました。
半日未満の滞在で宿泊できなかったのが残念ですが、島原良かったです! また機会あれば涼しい時期とかお祭りの時期に訪れてみたいですね。
次回は、色んな意味で灼熱の雲仙編でございます!
お蔭様で昨晩無事に長崎旅行から戻りましてございます。
天気予報はよくも悪くもハズレまくり、長崎に限って申せば防水装備が完全にアダになるほどの好天にめぐまれました……ありがたいことでした。九州はちと雨、雨言われ過ぎでしたね……
何回かに渡ってちょこちょこ旅行の御報告を上げたいと思います。が、暑いし色んな意味でいつものようなねっとりした旅行記を書く気力があまりございませんので(惰弱)写真貼り付けばかりになるかもしれませんがご了承ください。
とりあえず、何はなくとも今回の船コレクションを見てくれ!!(まだ興奮)
長崎港には14日間連続で豪華客船が入港しているとのことでした(現在も記録更新中?)
こちらはジェノバから来たお船だそうです!
同船を海辺の公園からとらえた様子。いやこれ完全に巨大マンションだろ………?
ぎゃあああ帆船が!! 超クールな帆船様がナチュラルに航行していたッ……!
鼻血が出るかと思うほどカッコよかった……(迷惑)
御向かいの三菱造船所で建造中の巨大タンカー!
あとこれまた港内で建造中の完成目前、豪華客船!!
また後日詳述致しますが、手前のちょろっとしたクルーズ船、こちらが私もこのたび乗り込みました軍艦島見学用の船でございますw (こちらは午前ツアー便の出港を撮影したもの)
もはや何マニアか分からないオープニングで恐縮ですが、次回もまた近々更新したいと思います。微妙にご期待頂ければ幸いです。
さて、引き続き二日目の歩け歩け大会の模様をお送りいたします。
吉野→橿原神宮前(近鉄吉野線)からバスでまず向かったのが、今回どーしても見たかった所のひとつ、石舞台古墳でございます!
やはり奈良といったら古墳デスヨ……! 歴史はよく分からないという方も、この古墳の写真だけは一度は目にされているのではないでしょうか。
奈良盆地というところは、高松塚古墳や謎めいた巨石群など、どこか神秘的かつ宇宙的なイメージが致します。岩舟伝説とかもあるしね。
しかし、私の中の石舞台古墳は!もっと具体的にSFイメージなのです!(力説)
それは、忘れもしない。私が高校生の時にほぼ生まれて初めて読んだ長編SF……小松左京の『果てしなき流れの果てに』のちょー有名な冒頭シーンは、奈良・飛鳥の地にあるとある古墳の中で起こっているある事から始まるのです。それが、まさにこの石舞台古墳。感無量!
ファーストコンタクトのこの話がとにかくスゴすぎて、訳が分からずも衝撃を受け(←)、思わずアシモフ、ハインライン、クラーク、ヴォークト等々、そろい踏みの岩波SF大全集にも手を出してしまったあたりからナニかが狂い始めたという……胸熱☆\(^o^)/
そんな超絶個人的な思い入れより石舞台を探検せねばですよ。なんと中に入れるんですね。
まあ、歴史の荒波にさらわれてすっからかんですが。創建当時はどんな姿をしていたのでしょうかねぇ。
さて、ここからがまーた万歩計のメーターがフル回転ですよアハハハ……!(白目)
天気も良かったのでウォーキング大会みたいなものが開かれていて、結構どこもにぎやかv
そんな人波から外れて、我々が次に向かったのが岡寺です。
ここ、事前情報で「結構坂がスゴイ。レンタサイクルで行こうとは思わないこと」ということだけは分かっていたのです。
「坂がすごいってさ……どうするよ……」
「でも、草壁皇子が居た場所らしいよ?」
「なにぃぃ?! 行こう」「行こう」 ←
草壁皇子といえば、梨木果歩さんや皆川博子様といった作家様がともに題材にした、古代史の悲劇の皇子様でございますよ。坂だろうとなんだろうと、両作家様のファンである我らが外せるわけがなかった……。
噂以上にアレな急斜面(坂っつうより急斜面!)の果てに、岡寺に無事着きました。ナナメなのは私の視界がもはやナナメっていたからです!
でもここの高台からの眺めは最高でした。飛鳥時代もこんな風だったのでしょうかね。
サア下山! まだまだ見るものがたんとあるんだ! 頭痛どこ行った…。いやほんと、日中動いている間はわりと平気なんですよ。ただ、なぜか回復が追いつかないだけで\(^o^)/
歩いて歩いて、次に着いたのがコチラ。
伝飛鳥板蓋宮(あすかのいたぶきのみや)跡。
ここに来るまで私も何のことやら知りませんでしたが(所詮そんなものだ……)、乙巳の乱で蘇我入鹿が暗殺されたと考えられている宮の後だそうです。
広大な田畑の真ん中に現れるこの遺構自体は、もう少し時代を下った天武天皇の時代の「飛鳥浄御原(あすかのきよみはら)宮」のもので、板蓋宮はこの遺構の下に埋まっているそうな。
もう、岡寺が済んだあとはレンタサイクルでも良かったんじゃないかレベルで移動距離が延びに延びまして。
次に向かうは、また遺跡です。
とりあえず歩けば遺跡に当たる!なんだここはパラダイスか?
……これまた少々説明が必要な感じですが、ここは「酒船石遺跡」でございます。古代マニアには有名です。これまた感無量! おそらく天皇にかかわる重要な祭祀場跡ではないかと言われておりますが、いまだよく分からないことも多いようです。
上の写真の真ん中、丸っこい部分は亀の形をしています。謎。
日本、それも古都奈良や京都というと見事な木造建築のイメージが強いような気がしますが、この時代は巨石文明だったといっても過言ではないのでは。
このように歴オタ欲は満たされつつも体力ゲージがまたしても赤疲労な我々……
それでも、歩くのをッ、止めないッ!(ヤケ)
さあ、やっとのことで着いた最終目的地。やっぱり博物館の一つも行かないと気が済まない! 「飛鳥資料館」についに到着。ですが……
スミマセン! 余りに疲れ果てていたせいか、建物の写真を撮ってくるのを忘れました。
飛鳥資料館のお庭には、花崗岩で作られた飛鳥の石人像や亀石の、おそらく原寸大複製がボンボン置かれていて、まるでどこかの近代アート美術館に迷い込んだようなv
資料館の中ではちょうどキトラ古墳と古代の天文学に関する、この手のものが好きな人種には垂涎モノの展覧会をやっておりました。がっつり観てきましたし図録も手に入れました、が!
つ か れ た \(^o^)/
我々は結局、一日目の吉野山グルグルに匹敵するような距離を踏破したのでありました…orz
宿は奈良市内でしたので、この資料館からバスで橿原神宮前に戻り電車で奈良入りしました。
バスも電車も、例のウォーキング大会の参加者さんたちで超満員でして、結構アレだったのですが、それどころではないぐらいの疲労度であまり気になりませんでしたな。
つ か れ た \(^o^)/ (二回目)
夕飯は、前夜の旅館の豪華御膳とは打って変わり奈良駅近くの商店街のレストランでカツカレーでしたv 昼間は駅のドトールでちゃちゃっと済ませましたし。とにかくコーヒーを飲まないと動けないのですよ……(ダメダメ) だいたいそんなものです……ドトール好きだよ…(告白
食欲が戻ってきていたのでそれは良かったですね。相変わらず熟睡は出来ませんでしたが、一日目よりはマシ。
そんなこんなで地べたを這いずるようにして堪能した豊穣なる飛鳥の地。良かったです……!
この謎旅行も、あと一日でございます、ハイ……(薄笑いを浮かべつつ次回へ続く)
タイトルが長くて面倒臭いうえにこの一週間でぐっと寒くなったなぁあ…(全く関係ない)
先週の時点で吉野の夜はかなり冷え込んでいましたが、もう完全に冬でしょうね。
それにしても、体調はオールゾンビだったとはいえ本当に良い旅でした。友人もその後メールで「逆に考えるんだ……私たちは旅行してきたんじゃない、今、東京(ここ)にいるのが旅行なんだ……そしてまた、奈良に還っていくんだよ……」と真顔で送ってきたぐらいです(真顔)
さて、なりゆきで約二時間コースを下り始めた友人とワタシ……。
相変わらず、食べ物の写真とか全然無いですスミマセンwwww(笑って誤魔化す……)
秋はいいねええ!! 疲れも吹き飛びます。ウソです(早)息も絶え絶えになりつつも(老人)何かに憑かれたようにコース沿いのスポットの坂アンド登り階段をヒーヒー観て回る我々……。
ながーいながーい山中の下り坂を延々下ることしばし……しばし……。
おお、世界遺産・吉野水分(みくまり)神社まで着きましたぞ!
この謎めいた名前の通り、古来より分水嶺として信仰されていた山だったようですね。
何より重要なのは、この立派な本殿を寄進したのが豊臣秀頼公だったことですよ! 秀吉が秀頼を授かったのがここのお蔭だったということで、子宝の神社としても有名なようです。
例によって、秀頼祭りだったのはワタシだけですがな。
この後も、後醍醐天皇ゆかりの歌碑や趣きのある神社など、退屈とは無縁の下り道。
予定より早く、四時過ぎには中千本まで辿り着いて一安心。。
かと思いきや!
ここから、唐突に始まる南朝ロード……!
なんとか四時半ごろに、これまた世界遺産・吉水神社に滑り込むことに成功!
まったく、吉野に居るだけで世界遺産にいだかれた気分(謎)になりますよ……(至福……)
ここは元来は神社ではなかったそうです。明治時代の神仏分離令以前は、金峯山寺の僧坊だったそうです。神社になってからは、主祭神として後醍醐天皇を祀っています。もはやこれだけで歴ヲタの血が騒ぐ……!(日本史さほど詳しくないけど)
それにしても私、いままで不勉強でしたが、明治の神仏分離令というのがかなりえげつないものだったのだと今回の旅で初めて知りました。
前回の金峯神社からここまで降りてくる間に、いくつもの「元・寺の跡地」がぽっかり空いていたり。大量の山伏が失業し、修験道そのものが存亡の危機にあったのだとか知らなんだ、知らなんだ…!
そして、この吉水神社の書院(宝物館)がまた、とんでもない場所でしてな……!
その前に、この神社の素晴らしい景観の数々を観てくれ!
桃山様式の日本庭園。秀吉が基本設計を行ったお庭だそうですよ。
秀吉はんは吉野で大花見をして、この吉水神社が本陣だったそうです。
これまた、秀吉はんが狂喜乱舞して飛び跳ねた(と、確かにどこかに書いてあった)吉野の桜の絶景ポイント。右は、「春にはこうなりますよ」という親切パネル。スギアレルギーじゃない方は是非観に行ってください!(涙をふけよ……)
ではいよいよ、驚天動地の書院の中へ……
左は、修験道の創始者、日本マジック界(何)のレジェンド、役行者様!
右は、弁慶が所持していたという武器だそうです! 義経の鎧とかもあったよ…?!
時々微妙にハマりそうになる能。室町時代の能面とかマジか……!
秀吉はん愛用の屏風……!
凄すぎる。さすがは、元・南朝の皇居……! ちょっと、もう一回観たいんですけど??!
それにしてもそんなに意図してないのに、10月から続く謎の豊臣祭りがDon't stop!
町の参道の両側にはシャレオツカフェや素敵な土産物屋が並んで、正直、中千本をぐるぐるするだけでももう一日は欲しかったです。そして、やっぱりあった!山伏装束の専門店……!
法螺貝すげーなー。2万5000円也………。
てか、なんで近頃こんなに山伏が気になるようになっていたのか、ようやく……分かった……
刀剣乱舞やーーw\(^o^)/(単純)
もう足が棒というか完全にギブアップ。へとへとになりつつ、夕暮れと共に宿屋へ。
老舗旅館の「さこや」さんです! 外観は純和風ですが内部はところどころとってもモダンというか和洋折衷で素敵でした。全然知らずにとったんですけど、何かのアニメにも出てきたとか??
このようにロケーションは最高だったのですが、我が体調は不調大魔王だった話はもう繰り返しません………(白目)
そして、グログロのまま迎えた翌朝。朝が来れば活動開始! それが旅人……!
昨日飛ばしました、世界遺産・金峯山寺を朝イチで拝観。
仁王門は残念ながら修復中なれども、その国宝仁王門大修理勧請として、なんと「秘仏本尊・特別御開帳」が行われておりました。グッドタイミング! これはいかない手はない!
で、写真はその本堂・蔵王堂。これも国宝です。ご覧のようにむしろ繊細で華やかな外観なのに、内部には燃えるような群青色の御本尊たちがいらっしゃいまして、ド迫力でした。すごかった……間近でお祈りなどもさせて頂けて、いい体験が出来ました。
そして、こんなものが授与されていたのでありがたく頂いてきました。これで、私にまとわりつく邪気という邪気は祓われます(確信)
さすがに2万5000円は無理だったから有難い……!(こちらは3000円)
吉野編がこうして終わりました。二日目、午後の目的地は、飛鳥。
「今日は、まったり行こうね(苦笑)」
……そう、それが口約束の始まり。
非情なる万歩計の罠は、ローカル線で運ばれていく二名にようしゃなく差し迫るのであった…( 次回予告)
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